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来るべき地球の新文明とは?

今の時代は、既存の社会システムが崩壊の過程に入っています。国も政党も官僚も、大きな崩壊の流れを変えることはできず、思いつくままに後手後手対策の連発です。 

問題は、私たち庶民は「崩壊する」と右往左往するのではなく、「崩壊した後に、どんな社会システムを作るか」という点が焦点になってくるべきだと思います。 

その新たな社会システム造りに、縄文時代が参考になります。--------------------------------------------------- ・・・<『霊人中村天風【ワンドロップ】の教え』、p196~p210から抜粋開始>・・・ 

■1万年戦争のなかった縄文時代 

かつて朝日山系でダムの工事中に縄文の遺跡が出てきました。そこがダムの底に沈んでしまうので一般公開された際、僕たちは見に行きました。そこはマタギの里でもありました。 

その頃、僕はお弁当屋さんのチェーン店を手放し、デリバリーのピザ屋さんの会社の代表になっていたのですが、毎日夜中までの仕事で、ストレスが溜まっていました。そんなある日、縄文の時代があり、1万年続いたということを知りました。そこには、戦争なんてなかった。 

稲作が日本に伝播したのは弥生時代。瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高千穂の嶺に降りたときに携えていたのが、天照大御神から授かった稲穂と三種の神器です。瓊瓊杵尊が皇祖皇宗(こうそこうしゅう)に、そうして神武天皇の時代になります。 

縄文というのは、今から1万5千年前から始まっていて、それが日本の歴史の始まりといわれています。戦後になって初めて教科書に「縄文時代」というのが記載され定着しました。明治時代の初頭、エドワード・シルベスター・モースというアメリカ人の動物学者がやってきて、大森の地形がおかしいとして調べたのが大森貝塚です。発掘してみると縄文の土器や貝が出てきたのです。貝塚は日本各地に2700カ所くらいありますが、大森貝塚からは土器のほかにネックレスや耳飾りなどの装飾品も出てきました。 

エジプト文明の発祥は5千数百年前、ヨーガは4千数百年の歴史があるといわれていますが、縄文時代は1万年です。そこに人間がいて、骨の形も現代人の僕たちと同じ。ということは心もあったはずです。思ったり考えたりしていたはずです。今とは価値観が違っていて、心がとても平和だったのではないでしょうか。日本の全国各地に縄文遺跡がありますから、そこそこに人もいたはずです。 

三内丸山遺跡にも何回か行っていますが、そこは大きな集落で、住居は竪穴式に石を組んで、柱を立て、藁で屋根をふいていました。暖をとるために真ん中は暖炉があり、しかも煙が抜けるようになっています。じゃあ、この人たちは何を考えていたのだろう、と僕は思ったのです。 

今、縄文に人気がありますが、人気があってあたりまえで、それは「原点に還れ」ということではないでしょうか。僕は彼らに非常に衝撃を受けて、ものすごく興味をかき立てられました。たとえば地震や台風などでよく停電しますが、現代生活には電気は不可欠で、それが止まると生活できなくなってしまいます。ガスも水道も使えなければたちまちパニックです。ところがこの時代には電化製品も照明もありません。電気の生活が始まったのはここ百年のことです。 


■縄文人は宇宙エネルギーを自在に使っていた 

人間が体を持って生きている限り、必要なものは当時もありました。気候変動も飢餓もあったでしょう。その中で衣食住があり、住んで、食べて、着て、つまり裸で歩いていたとは思えません。各地の土器を見ると弥生式とはまったく違います。弥生式では水瓶も溜めることが目的ですから、効率よく水がいっぱい溜められるようになっています。ところが縄文時代は火焔土器に代表されるように、底が小さく入口は火が燃えたような形、火焔状になっていて、水をいっぱい溜めるというものではありません。 

何よりいちばんの特徴は縄です。縄の紋様です。縄を編む文化には繊維がなければなりません。紐を作っていたということです。材質は自然のもの、麻みたいなものだと思いますが、それをDNAの二重螺旋状のように編んでいた。それを粘土の上に置いて押さえる縄目模様がつきます。それぞれみんな違っていて個性的ですが、私には女性が作ったもののように感じられました。 

もう一つ興味を持ったのが、うちの女房によく似ているのですが、「縄文のビーナス」に代表されるふくよかな女性たちです。土偶だけでなく素焼きの粘土板もたくさん出ています。それも女性をかたどったものがひじょうに多いのです。女性美の価値観も今とは違います。どんな女性が理想かというと妊婦さんです。妊娠している女性が豊かさの象徴でした。そこには、生命が生まれるということ、生きるということ、次の子孫に繋がっていくことへの祈りが込められています。

 僕はこの縄文の文様を見ながら、生き方とか考え方、何を大切にしていたのかということをずっと考えていました。彼らが日常的に見ていたのは人為的なものではなく自然です。まわりを見渡してもビルなんてないのですから。もちろん燈(あかり)もありやしない。だけど、朝日が上がれば太陽が、夜になれば天の川が手に取るように見えました。雄大な星空が手に取るように見えた。彼らはそんな世界観、宇宙観の中にいたのです。川の水も音を立てて流れていたし、風の音も聞き分けていたでしょう。 


■縄文は宇宙文明だった 

縄文は宇宙文明だというのは、宇宙の生命観だったからです。縄文時代には方位石というのがあり、そこに東西南北が示され、太陽が昇る位置も計算されていました。同じように星座石もあり、大きな石に天の川銀河が刻まれていました。

彼らは現代人とは違って暗闇に慣れていますから、夜でもよく見えるのです。現代人には見えない星も見えていました。悩むことも少なく、食べて生きていくために自然に学び、果実や栗を食べたりしていました。そして集落の玄関を南に設け、自然のエネルギーが全部集まるように設計しました。火焔土器もエネルギーが器の中に集中するように作られていたのです。 

僕は実際、自分で土器を作って実験したこともあります。思えばばかなことをいろいろやっていました。縄文と弥生の土器を作って調べてみたら、縄文土器に入れた水は腐りにくいのです。縄文土器の内側は炭がついていないのに、外側は焼けています。あれは外側から焼いたのです。そうして水を沸かして、その水の中にエネルギーを取り入れていました。 

僕はあの頃は気が狂ったように縄文にはまっていましたから、普段は人が入っちゃいけない神社の杜に入れてもらい、いろいろ調べていました。そういうところにも人が住んでいた形跡がありました。縄文人は肉眼だけでなく霊眼も使っていました。 

中村天風先生は人の肉体は間脳から先にできるから目はあとだと言っていますが、宇宙エネルギーはまず松果体の中に入ります。第三の目がいちばん先にできるから、そこに魂が入るのです。第三の目を使えばエネルギーもプラーナなども見えたから、プラーナがいちばん集まる食物をとって食べました。食物も生きるのに必要なものだけとります。しかも蓄えるとかそういう考えはありません。 

僕の考えでは縄文様というのは、肉体を次の子孫に繋げていくDNAの二重螺旋を見ていたのだと思います。あれは永遠の生命の循環を表しています。宇宙はメビウス、永遠の生命がずっと続いていく生き物ということを表現しているのです。彼らはいのちの本質がわかっていました。死という観念も永遠の生命に還るという感覚でした。 


■平和で豊かな暮らし 

今の文明は行き詰まっています。この前の地震で電気が消えたら、夜空の星がとてもきれいだったと言っている人が結構たくさんいました。そういえば3・11のときも、自然災害だけでない、原子力発電という文明による危機に直面しました。そんなことが重なってみんな原点に戻ろうとしていますし、多くの方が目覚め始めているような気がします。でもまだ多くの人は電気がないとやはり怯えます。 

気がついたのは、縄文人って豊かだったということです。なぜかというと家が4軒ありました。つまり別荘を持っていたのです。それは食にも繋がっていて、この季節にはこういう果物がなる、この季節は台風が来ると、春夏秋冬4シーズンの定着した家があったのです。所有権はありませんから、どこでも自由に住めました。 

貝は交換手段に使っていました。たとえば海のものと山のものを交換するために貝は交換の証に使っていましたし、またネックレスやブレスレット、イヤリングの交換にも貝を使っていました。文字は必要ありませんでした。霊感で相手の言いたいことがわかっていたから意思疎通には困らなかった。以心伝心です。 

現代人は相互不信の中で自我本位で生きているから、相手が何を言いたいのかわかりませんが、その頃は、人だけでなく自然とも対話しながら共に生きていました。台風や災害が来ることも察知していましたから、家族一族を引き連れて安全な場所へ移動していたと思います。

 

■エネルギーを活用 

そんななか、ワンドロップはみんな持っていました。もともと人間は宇宙から来た魂だということもわかっていました。イギリスでもストーンサークルやストーンヘッジがありますが、それらは共振するといわれています。日本でも環状列石といって、いろんなストーンサークルがあります。あれは上空から見ると見えやすく、方位石や、パラボラアンテナのような人工的なお椀状のものもあります。意識は上空からも見えていたので、それでエネルギーを表現していました。 

そこで僕は実験しました。家を建てる地鎮祭のときに四隅に竹を立ててお祓いをしますが、そういう清浄な場を作って、中に入ったらどういうことができるか。縄文の縄のようにぶあつい麻で編んだ縄を百メートルほど買って渦巻きにし、ぐるぐる回る隼人族のマークを作って、どんなエネルギーが体感できるかやってみたのです。 

すると、外と中はまったく違うのです。渦巻きの中を通っていくと、いろんなものが抜けていくのがわかります。渦巻きも環状列石もそうですが、そうすることで上からエネルギーが降りやすくなります。彼らはそうしたエネルギーを利用しながら住居をつくっていました。

 貝塚も発掘現場をいろいろ調べてみると、全国で2百種類くらいの貝や魚を食べていたことがわかります。貝塚はゴミ捨場といわれていますが、ちゃんと分別され、貝はきれいに洗われていました。これも実験してみたのです。北海道や沖縄では風化サンゴを今も売っていますが、あれは水や土地を浄化します。「けがれ地」が「けがれ地」でなく、「いやしろ地」になるのです。ですから、きれいに洗った貝をいったん天日で干して貝塚にした形跡があります。そうすることで場の周波数も変わり、エネルギーの浄化ができました。そういう知恵があったのです。 

集落は円形ですが、天円地方(てんえんちほう)といって、天は丸く、地は方形という宇宙観からきています。宇宙は円だから、宇宙エネルギーを集落に集めるためにはそういう形になるのです。環状列石も丸です。 

相撲の土俵も四角の中に丸を作っていますが、真ん中に天地のエネルギーが集まるようにしたのです。そこで裸になってぶつかりあう相撲はご神事であって、勝ち負けではないのです。シコを踏んで地ならしをしながら、地のエネルギーを高めました。恵みをもたらす自然はみんな神という考え方です。 

だから妊婦さんは生命が次に生まれる豊かさの象徴であり、次の子孫に繋げていかなければなりません。食べるものは自然のもので、かつ集落はエネルギーが高い。水も腐らないようにエネルギーの入る甕(かめ)を使っていました。魂は天のもの、肉体は地のものとして還元していました。 

死者を埋葬をするときは壺の中に、今でいう体育座りのような膝を抱えたかたちで遺体を入れていました。あの世に還ってもすぐ行動できるようにしたのです。肉体は死んでも魂は死なず、すぐ蘇ることを知っていました。 

母系社会だったから戦うことはなく、それゆえ平和でした。土偶を作ったり、何かを編むというのも、女性中心でした。それに対して男性は役割分担で狩猟をする人もいたし、槍を作る人もいました。毒を使って狩猟していたという人もいますが、食べるものに毒を使うことはありません。クジラも食べていたし、クジラの骨で作った装身具もあります。驚くのはナウマンゾウもいました。日本は大陸と続いていたからです。 

夢中で調べながら、僕は発掘現場の地中に入ってみたり、星明かりで本が読めるかどうか試したりしていました。暗いところにずっといると、暗闇でも本当に見えるようになります。 

今、縄文に関心を持っている人が増えているというのは、みんなその記憶を持っているからです。ワンドロップ、自分を生かしている命に聞くということは、かつて縄文人だった頃の記憶があるからです。そうすると恵みを与えてくれる自然は全部神だったし、生命を産む女性も神でした。それが祈りの対象であり、豊かさの象徴であり、そういう連綿として続く命の記憶だった、と僕は受け取っています。

 

■縄文とカタカムナ 

縄文という大きな流れの中にカタカムナがありました。カタカムナ文明というのは、はっきりいって宇宙人という意識を持っている人の文明だと思います。たとえば宇宙人が神と見間違うほど神々しい形で降りてきて、シャーマンのようにいろいろな知恵を伝えていくのです。

 スタンリー・キューブリック監督が作った映画「2001年宇宙の旅」がありますが、猿が出てきますね。人間の祖先は猿ではないので、あの映像は間違って描かれていますが、モノリスという石板みたいなのが立っています。あれにおっかなびっくり触った猿がいました。すると知恵がついて、彼は棒きれを持って振り回すようになりました。いろいろな生きる宇宙の叡智、それがワンドロップ。つまり宇宙意識です。 

いま僕たちは空に星を見ていますが、そうではない、目に見えない宇宙があります。裏側というか(心を裏とも読みますが)、目には見えないものすべては、裏にある生命エネルギーとして表れます。驚くことに縄文人はこの裏側にある生命エネルギーのことも知っていました。 

土偶の中に国宝として有名な東北から出土した遮光器土偶というものがあります。なにか宇宙服を着たような格好をしていますが、あれはエネルギー体が発光してまばゆくなり、見えないので、アバターというか、宇宙服みたいなものを着て降りてきて、縄文人に知恵を教えていたのです。いつ降りて来るか縄文人もわかっていたから、みんなでそれを囲んで、内なる声なき声で話を聞くのです。そこから広まったのがカタカムナ宇宙文明です。 

平十字(ひらとうじ)が楢崎皐月(ならさきこうげつ)氏に教えたと言われていますが、カタカムナというのは星のエネルギー、宇宙の元素の同位体、アイソトープです。肉眼では見えないけれど、エネルギーで満たされている立体的なものです。 

1980年代のアメリカ映画に「コクーン」という作品がありました。1万年前に地球を訪れた宇宙人の話で、彼らは光の体(ライトボディ)ですが、それと遮光器土偶の宇宙服を脱いだ中身は同じものです。 

進化するために叡智を授けてくれる人が宇宙から降りてきていました。磐座(いわくら)に降りてきて共振し始めると、言葉を超えたバイブレーションが放たれ、受け取る人たちもそれがわかるのです。あ、そうかと思って、みんなが同じことをし出します。 

アイソトープ、それは同位元素とも言われ、元のエネルギーは全部そこからできています。霊(ひ)ともいいますが、大元のエネルギーの表現はこの物質世界では物質化して、それぞれ元素番号がついて元素になります。カタカムナの文字がそれを表しています。カタカムナ人は見えないものに対しても、もっと深い目で見ていたから、DNAの二重螺旋も知っていて、それを模して縄目文様の土器を作りました。その土器は単にものを入れるものではなく、宇宙エネルギーを入れる装置であり、宇宙のエネルギーを使う超科学だったのではないかと思います。

そういう意味ではカミオカンデの装置もカタカムナといえます。つまり大きな縄文土器を、地下に作った水瓶にニュートリノを集めて観測しようとするものです。 

人は進化のプロセスを経ていますが、同時空間にいながらみんな意識が違うから、違う世界のように見えるのです。現れてくるものは意識によって変わります。縄文文化はなくなったわけではなく、同時に存在しているのです。縄文に共感したり、関心を持つ人はその意識に近いところにいます。同じ空間にいながら違うのです。同じ24時間でも意識の時間は違うし、そこに流れているものも違います。縄文時代、高度な文明があったのです。必要でないものは現れないだけです。必要なときにまた現れます。 

弥生時代になって米作りが始まり、所有・支配の世界が始まり、それが現在行くところまで行って、今は大きく反転する時期に来ています。マラソンの折り返し地点です。目覚めていく人も増えています。地球もエネルギー体、生命体ですが、そこには振動数があります。地球の振動数を科学的にシューマン共振といい、その周波数は7.8ヘルツ(1次)です。 ワンドロップ・プロジェクトがどうして聖歌隊を作ったかというと、天地を繋いだ意識状態で地球の中心に向けて歌うことで、地球と共振し出し、本来あった地球の振動数を変えていくこと、それを目的にしているのです。

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 今、僕はフェイスブックで阿南市の首長に対して、行政の長としての適性を問うている。しかし、時代は、既存の社会システムが崩壊の過程に入り、もはや阿南市だけの問題ではないし、もっともっと根源的には「人間としてどんな社会統治を描くのか」という根本命題が問われていると感じる。

したがって、僕にっとっては現首長に対して個人的な恨みも、嫌悪感情もないわけだ。むしろもっともっとこの問題は敷衍して、普遍化して、「人類にとって政治や統治はどうあるべきか、どうあれば人間は幸福度を高めることが出来るか」。こういうことを問うべきだと思う。

こうした世界観は、国際統治勢力に対する僕の見方にもかかわってくる。いわゆるディープステイト(昔で言えばフリーメイソンだのイルミナティだの)という連中の存在はもはや常識なわけだが、これらに対しても僕は彼らが「崩壊の過程に入って、もうにっちもさっちもいかないんだな」と感じている。

したがって、彼らが描く世界統治に乗っかるのではなく「人類にとって政治や統治はどうあるべきか、どうあれば人間は幸福度を高めることが出来るか」というフラットなところから論を構築していかねばならないと思っている。

その際に拠り所となる思想は、いままで、僕らが教育で教えられたことの中には一つもない。また、読んだ本や哲学書の中にも参考は一つもない。唯一、僕が心の中の声なき声に耳を傾けた時、ヒントとなったのが「縄文」というキーワードだったのだ。

縄文のことは、明文化された史跡や証拠がないから学術には俎上に上がらない。もちろん、行政統治にはまったくもってなじまない。しかし、いまやあらゆる価値観、規範、システムが崩壊しているのである。阿南市も行政が崩壊しているのである。そうした中で、新たなリーダーには、文明崩壊後の道筋を照らし出す人材が必要になる。

それは、だれなのか。

その中身は、なんなのか。

いったい、文明崩壊とはなんなのか。

そういう、疑問にならない疑問を、僕は明文化させたいとおもっている。

そして、かつて人類が経験したことのない文明崩壊と、新文明の勃興を、僕は担っていきたいと思っている。

そのための大きなヒントが「縄文」にある。僕らは、「縄文」にもどり、「縄文」を超えていく。そのために現市長が器がちいさくてどうのこうの、というような些細なことはどうなんかな、と疑問を感じながら、いやこれも現文明の崩壊とともにある現象なんだと、僕は思い直して、彼らを見つめている。

僕らの新文明の勃興は、ささやかなささやかな現文明の崩壊をないがしろにしては構築できない。神は細部に宿る。そして、僕は夢を見る。「令和・新縄文文明の幕開け」を。 

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